2018年10月5日(金)~7日(日)の3日間、「第37回地方自治研究全国集会 土佐自治研」に参加してきました。
初日の全体集会では、基調提起のあと、東北学院大学経済学部 准教授 佐藤 滋 氏による記念講演「シェアリング・エコノミーへの転換と地方財政制度の未来~『人口減少社会の自治体財政構想プロジェクト』報告~」と、「地域づくりは”あるもの探し”」をテーマにパネルディスカッションがありました。
講演では、人口減少社会・超高齢化社会の中で行政ニーズは日に日に高まる一方で、地方財政はひっ迫し、国から削減圧力がかけられている中で、それを打開するためには、どのような視点を持ち、社会システムを構築してくのがいいのかを財政的視点から講話がありました。
パネルディスカッションでは、これからの地域づくりは、無いものねだりではなく、あるもの探しをしていくべきである。地域の人も余裕が無い中で「自分たちの出来ることを自分たちで」と頑張っているので、行政の人は伴走者(サポート)になってほしい。また、行政職員と地域住民との信頼関係は普段からの付き合いから生まれてくるので、それぞれの考えを話し合い、地域にもっと出てきて触れ合ってほしいとありました。
2日目は、「土佐で『学ぶ』」、「未来を『見つめる』」、「地域で『生きる』」、「きずなを『つむぐ』」、「みんなで『支え合う』」、「私たちで『創る』」の6つをテーマに、12の分科会が開催されました。
そのひとつの第5分科会「人口減少社会をどう生き抜くか!?」では、東洋大学国際学部国際地域学科 教授 沼尾 波子氏より「人口減少社会の地域づくり」をテーマに講演がありました。人口減少対策として、人口増を検討することが政策目標になりがちであるが、どこかの自治体が増えればどこかが減ることになる。これからの対策は、減少の中でも持続できる地域づくりの対策が必要である。「地域づくり」には、誰がどう決めるか、行政と地域が連携し、地域の人々が主体的に参加し合意形成、意思決定をしていくガバナンスと、円滑な運営ができるように、どんな人が入るか、資金の調達方法、地域内外との関わり、情報の発信などを行うマネジメントの2つが大切になってくる。自治体は、雇用対策にすぐに走らず、地域の状況を見て、地域住民の声を聞いてみること。行政が一方的に施策を決めるのではなく、地域それぞれが決めていけるように、行政は支援に回ることが大切であるとの講話がありました。
3日目は、ジャーナリストの津田 大介 氏より「AIとこれからの公共サービスのあり方」をテーマに特別記念講演がありました。
AIの発達により、ロボットが人に替わり、これまでの仕事がなくなり、新たな仕事の仕方が発生すると言われているが、これは今に始まったことではなく、これまでもそのサイクルで世の中が移り変わってきた。例えば、駅の改札が、有人から自動改札機に替わってきたように、時代と共に移り変わってきている。役所においても、20年前までは手書きで文書作成や計算等を行っていたが、パソコンの普及により、手書き作業が無くなってきたが、役所の職員の仕事自体が無くなったわけではない。これらの傾向を分析することで対策も考えられるのではないかと思われる。
また、AIの発達により、雇用・就業の仕方の変換が行われ、それに伴い労働問題へ発展するのではないかとの疑問も生じるが、日本は現在、少子高齢化が進み、国力、税収が減少し、社会保障費の割合が増大し、若年層への負担が非常に大きくなってきている。この人手不足による国力の減退分をAI及びロボットが補完していくのではないか。AIを活用する方法を模索していかなければならない。
AIやロボットが如何に優秀であったとしても、調整やサービスの提供面においては、人が介在するしかなく、全ての業務がAIやロボットに代替されることはない。自治体の仕事を例にすると、ソーシャルワーカーは福祉の現場では不足している。この仕事はAIで代替できるものではなく、この人手不足部署に対して他の業務をAIで効率化し、これにより発生した余剰人員を不足部署へ充足することが可能となってくる。
今後は、AIを活用し効率化を図り、人員の配分のあり方を検討し、人でしかできない分野へ人を投入する時代がやってくるであろうとの講話がありました。
今回の土佐自治研集会は、これからの人口減少社会において、持続可能な地域づくりのためには、何が必要なのか。行政による一方的な施策ではなく、地域住民の力が必要であるが、地域だけに頼るのではなく、行政職員が地域に入り、地域住民と共に協力しながら「まちづくり」を行っていく必要があるのだと感じる内容でした。
また、遠くない近い将来には、AI及びロボットの発達により業務の効率化が図られ、人口減少社会における人手不足の解消に繋がるのではと期待されている中で、AI等の導入によりワークライフバランスの改善にも繋がるのではないか、今後、検討していかなければならない課題なのではと考えさせられる集会となっていました。