熊野会場の概要 1

日時 平成13年10月13日(土)午後1時30分〜4時30分
於 三重県熊野庁舎

第1部 基調講演「市町村合併を考える」
《講演のポイント──渡辺悌爾氏》
○ 国が市町村合併を進めるから、県内の他の地域で取り組み始めているから、それなら自分たちもやらなければいけないのではないかといった、ある種、強迫観念に駆られて取り組むような受け身的な市町村合併ならしない方がいい。むしろ、自分たちの未来を自分たちで選ぼう、というのが市町村合併の本来のあり方だろう。
○ 国の財政が厳しそうだから、その尻拭いをさせようとしているのではないかと反対論が耳に入ってくる。これは確かにそういう面が大きいと思う。景気をなんとか元に戻すため国主導の下、ある種、強迫観念のように、減税や公共事業の継ぎ増しを行い、その財源は財政赤字、国債の発行といった事をやってきた。しかし、経済はグローバル化し企業が生産拠点を海外に移転する。そうすると国内での雇用機会が段々と無くなって失業率も上がってくる。そのなかで国も地方自治体も税金が上がらなくなってくる。四日市でも平成元年に企業が市役所に納める関係の税金が100億円あったが、それが10年経って40億になった。財政的に困った状況にあるのは過疎地域だけでは決してない。
○ 今、生活者主権という所に立ち返って、自分達の地域の現実そして将来の事をもう一度考え直し、再構築することが大切である。自分達の集めた税金がどんな風に使われるのか、これは無駄ではないかなど、もっと真剣に議論しなければならない。これまでは、「財政錯覚」とよばれるような、東京からお金が降ってくるような感覚を持っていた。四日市ではポートビルというのが出来ているが、あれはほとんど借金であり、その借金100億円をかけて作ったビルだがほとんど利益はあげずにいる。そういう錯覚はもう許されない時代に入ってきている。
○ さらにこの上大変な人口減少社会がやってくる。国の推計での三重県の人口は2025年には191万人。しかし県が独自に調べ直したら173万、2050年には170万から136万まで減る。そういう人口減少社会というものに向けてやはり負担を出来るようなシステムに改革しなければいけない。
○ 行政コストで考えると、人口1万人以下では行政コストが割高になり、一方で、人口30万人を超えると実は1人あたりの歳出額はまた上がってくる。つまり、大きければ大きい程いいということは必ずしも言えないが、平均的に10万人ぐらいまで来ないと行政の合理化はなかなか十分でないという事がいえる。
○ 合併に対する懐疑論の中には、合併による行政サービスの低下を挙げる声も多い。しかし地方自治という事は団体自治ということだけではなくて住民自治という観点も大事である。本来は自分達の身の回りの事は隣近所で話し合って、暮らし易いように自分達でやっていく、役所はそのお手伝いをする事が望ましい。ヨーロッパやアメリカでは、役所に頼るのではなく住民自治が大変盛んだといわれている。したがって日本でも住民自治というと役所の事ばかりに関心がいくのだけれども、実は自分達の事は自分達で役員を決めてやっていく、そして自分達でまちづくりを進めていく事が本当の地方分権ではないか、従ってこの合併が進められるとしても住民自治、住民の自主・自立に任せるというような所を発揮しないと本当に暮らしやすいまちづくりにはならないだろう。
○ 明治21年に7万あった市町村が明治の大合併によって大正11年には1万2千になり、昭和28年に市町村合併促進法が施行され昭和36年くらいまでの間に3千くらいになった。考えてみると戦後昭和20年頃の時代には人々の動く足は歩くかせいぜい自転車、おそらく3千の自治体数というのは自転車の時代の地区割りであった。今は情報通信が物凄く発達した時代であり、車は一家に2、3台あるというような時代である。つまり「自転車の時代」から「車の時代」への変化によって、行政圏域の広さも当然広がるわけだから、我々の生活圏域は想像以上に広がっているという事を考えなければいけない。先ほど紀宝町長が足と靴の例を挙げたが、確かに体が大きくなったのに古い靴のままでは体の発育を妨げ、大変窮屈な思いをしなければならない。

《講演のポイント──岩崎恭典氏》
○ 地方自治体が今までと同じようなやり方でサービスを提供できるという時代は終わり、当然サービス供給のあり方を根本から考え直さなければならないだろう。そのため出されたのが去年の地方分権一括法であり、地方自治体と地域住民の自己決定権の範囲を広げてきた。その意味では今回の市町村合併は、住民に属する自己決定権の最大範囲に属するものなのだと思う。
○ しかし、市町村合併について国や県のあるいは市町村が住民に対し説明をする際少し抜けているのが、一つの市町村が大きくなると、人口規模も大きくなるが面積も非常に大きくなることではないか。人口規模が大きくなるメリット以外に、行政がサービスを行う対象のエリアが広がる事が本当に効率的な事だと言えるのかという疑問を持たざるを得ない。
○ そもそも国がこれ程熱心に、市町村合併進めようとする訳が分からない。つまり目の前にあまりにも大きな飴がぶら下がりすぎていると思わざるを得ない。これから2005年3月31日迄に合併をすれば合併特例債を受ける事ができる。地方交付税についても2005年迄に合併をすれば、10年間はその総額を変えないと国は約束している。しかし特に小泉首相がいろんな構造改革を言っているなかで本当にこの約束が守れるのだろうか。合併特例債にしても全ての場合で本当に発行できるのか疑問である。地方交付税についても、既に人口4千人、将来的には人口1〜2万人以下の町や村に対しては削減するという方向のようであるが、全ての市町村が合併をしてしまえば交付税は10年間今のまま削減できない事になる。つまり合併を進めれば進める程、小泉首相は構造改革が進まないという状況に陥るのではないだろうか。合併の特にそういうアメ玉の部分、美味しい部分、これを全部鵜呑みにして合併の為に走るという事は、私は危険だと言わざるを得ない。交付税はやはりなんらかの簡素化をするいう形で徐々に少なくされるだろう。起債についてはやはり身の丈に応じた返せるだけの額しか発行をさせないという形になっていくだろう。
○ 市町村合併を考えるにあたって、「広域効率」(=広い範囲で取り組んでこそ効率的にできること)と、「狭域有効」(=狭い範囲で取り組んでこそ効果的なサービスが提供できること)の2つの考え方がある。例えば、介護保険事業を考えたとき、要介護認定業務や施設サービス、基盤整備などは広域で効率的に進めるべきだろう。しかし、在宅サービスなどについては、狭い範囲できめ細かなサービスを提供していくべきである。この二面性の部分を今回の合併というものでどういう風に確保していく事ができるのか、この事が明らかにならない限り、市町村合併はなかなか軽々に先に進むのは厳しいのではないか。
○ 新潟県の東頸城郡という主産業を公共事業に頼っている地域で、現在、合併話が持ち上がっている。その地域は6つの市町村の各々の高齢化率が40%から45%の超高齢社会である。そこで合併をし、10年後の合併特例債を使って公共事業が終了する頃にはその地域の半数以上の人が高齢化する。それでは地域の将来ビジョンを描くこともできない。地域の公共事業が10年間生きのこるために合併建設計画がつくられてしまうおそれがないだろうか。公共事業で成り立っている地域でなくても、このようなモラルハザードを招かないようにしていかないと困る。
○ 市町村が合併を真剣に考える場合は、まずは新しい市を作るという新市町村建設計画を作る時に、住民がいろんな形で注意して、どのように地域を作っていくのかという議論をして頂かないと困ると思う。つまりそうでなければとんでもない合併が突っ走ってしまう可能性がある。
○ 総合計画と新市町村建設計画の大きな違いは、総合計画は夢は夢であるが、新市町村建設計画は計画に乗った事業は実現可能性が物凄く増すことである。だからこそ新市町村建設計画は総合計画よりも丹念に作っていかなければならないだろうし、2005年までに合併した方が飴玉が大きいから無理矢理作ろうという事だけはしない方がいいと思う。できるなら2005年までにやった方がいいに決まっているが、その為には非常に多くの手続きが必要なのだという事を最大の議論点として挙げておきたい。


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