中勢会場の概要 1

日時 平成13年10月21日(日)午後1時30分〜4時30分
於 三重県総合文化センター


第1部 基調講演「市町村合併を考える」
《講演のポイント──阪上順夫氏》
○ 小泉内閣が進めている構造改革が地方においても必要な時期に来ており、その決め手は市町村合併しかない。バブル崩壊後の「空白の10年」、景気対策として行った公共事業だが、666兆円の借金というツケとして21世紀に持ち越した。地方でも、国はハコモノに補助金を付け、地方債として残っている。運営経費もかかり市町村財政を圧迫している。この問題を打開するのに、小手先の行政改革では抜本的な改革はできない。規模を大きくして、財政難に対応していかざるを得ない。
○ 21世紀は少子高齢化が着実に進むため、税収が減り、一方で支える年齢層が薄くなる。あと4〜5年経てば、日本の総人口は減る。予想されるのは、大都市への人口集中である。地方の若い人が都会に出ていくのは防ぎきれない。どう地方を活性化するのかを、今から考えなければならない。
○ 東京都東久留米市から委嘱を受け、合併を含めた行財政のあり方を検討した。結果、合併すべきという方針を打ち出した。当市は昭和30年代に人口が急増したのち、10万人強で横ばいとなった。定着した人が高齢化し、税収はどんどん減るというり財政危機になった。これにはから、周辺の市と一緒になって規模の拡大を図らないと、問題解決できないという結論になった。ちょうど、隣の保谷と田無が合併して、西東京市となった。かつて、3市での合併の話もあったが、東久留米は乗り遅れてしまった。思惑や慎重論が表に出てしまって、なかなか合併に踏み切れなかった。
○ 日本の市町村では、2度の合併を経て、71,000の市町村が3,200くらいになった。今の1つのまちは、20くらいのまちが合併されたと言えるが、みなさんは合併前の市町村にこだわって生活しているだろうか。10年も経てば、人間は新しい環境に対応していくと思う。合併するのに、コミュニティが崩壊するとか、市民と行政とが離れるなどの懸念があると思うが、経験から言って、昔の市町村を意識してはいないと思う。ぜひ、前向きに検討してもらいたい。
○ 構造改革には痛みを伴う。市町村合併では、首長、三役、議員の数が減り、失職しかねない。だから、積極的に推進する気持ちになれないだろう。しかし、リストラは市町村合併の最大のメリットである。まちの将来のことを考えて、自分の身を犠牲にしても英断していただきたい。
○ 私見だが、南北に長い三重県の中核として発展させるため、津市だけでなく、鈴鹿、久居、亀山と周辺を集めて、50万の特例市をめざしてもらいたい。県都にふさわしい規模を持った三重県の中心核を持てば、新しいまちづくりもできる。県庁だけでなく、鈴鹿サーキットや榊原温泉などを結びつければ、人が集まるまちができる。中心となるまちにはそういう要素も必要である。
○ アンケート結果では、「いずれ合併が必要」という考えが6割以上を占める。十分に検討したいということだろうが、合併特例法は、平成17年までの時限立法である。先に述べたように、今の市町村の体制ではもうやっていけないところまで来ている。今を逃してしまうと、これまでの形で市町村を続けていかなければならなくなる。その時にどうなるのだろうか。50年、100年先を見通して、国が特典を付けている今、バスに乗り遅れないで欲しいと思う。

《講演のポイント──早川鉦二氏》
○ 東京都の三鷹市に行ったのだが、津市と同じ16万ぐらいの人口を7つに分け、コミュニティセンターをつくり、文化、環境、防災などの活動を行っている住民協議会を見てきた。私は、人口が多くなり、行政区域が拡大すると、自治の主体である住民が他人任せになってしまうと考えている。また、住民と行政との民主主義のパイプがつまり、住民自治が成立しにくいと考えている。
○ 岡山市の1969年の岡山市の合併を検証した結果、大変な問題があることに気づいた。岡山市と合併した旧西大寺市は「岡山市の副都心」「東の玄関口」として発展が約束されていたが、実際は、西大寺地区の衰退と活性化が議論になっている。もちろん、合併のせいだけではないが、大きくなった岡山市に依存し、地域の人が地域のことを考えなくなったことが問題である。自治意識の希薄化は避けがたい、ということを第一に痛切に感じた。
○ 二つ目に感じたことは、合併後の岡山市がつくった10、20年後の市民福祉の指標があるのだが、公営住宅、下水道の整備率、消防などが目標を大きく下回っている。同規模の市と比べても、市民福祉が進んでいない。これは、都市基盤の整備に大変なお金を使ってきたからだと思う。
○ スウェーデンでは、戦後、2回の市町村合併を経て、289のコミューン(市町村)になったが、福祉が進んでいるだけでなく、すばらしい地方自治が成立しているという論調だった。そんな広いところで住民自治は成立するのか、という疑問を持った。結論としては、日本人とは違い、主権者としての意識、政治への意識が高い。政治に対する自分の考えを持っていないと、恥ずかしい思いをする。民主主義の伝統の違いであろう。また、政治への信頼がある。非常に高い税負担だが、国民が連帯して、支えあっている社会である。そういう市民ゆえに、うまくいくのではないかと思った。
○ しかし、全部がうまくいっているわけではない。やはり、合併して、行政区域や人口が増えると、住民の声が反映されなくなり、参加が難しくなる。だから、住民の意見を行政に反映するよう、市域を分けて地区評議会をつくり、福祉、教育、文化などが住民に委ねられている。それでもうまくいかない場合は、分離・独立している。実際に分離・独立したのは10くらいで少ないのだが、多くのまちで問題はくすぶっているようだ。
○ 以上を踏まえて、住民自治ということから、市町村合併には大変危惧をしている。以前、私は日本の地方自治を、「住民に背を向けてでも、国や県にの下請けに甘んじる自治体」として否定してきた。それが今、急速に変わりつつある。多治見市では、財政問題の市民懇話会に公募市民を3名選んでいる。市民公募で参加する委員会や審議会は、全国的に増えつつある。それから住民投票制度がある。住民投票運動が広範に行われるようになってきたが、住民が主権者として、「大事なことは俺たちが決めたい」という叫びだと思う。以前に比べて、住民が目覚めてきた。住民参加のまちづくりや住民投票制度の法制化などが優先だと思う。
○ 21世紀は、参加の時代であり、環境の時代である。住民参加、住民自治はかけがいのないものである。合併すると、過疎の地域はますます過疎化に拍車がかかり、人が住まなくなり国土が荒廃する


                 中勢会場の概要2へ続く
                  シンポジウムの様子へ戻る             ホームへ戻る